ラウル・デュフィ 「花束」 Raoul Dufy
- 管理No.16-11021
- 作家名ラウル・デュフィ (Raoul Dufy)
- 作品名花束 (Bouquet)
- 年 代
- 技 法リトグラフ (Lithograph)
- サイズ43×60cm(I)
- レゾネ
- 体 裁額装
- 備 考版上サイン/左下にエンボス/コンディション良好/68×87cm(F)
ラウル・デュフィ (Raoul Dufy) 1877~1953
1877年 フランス,ル・アーヴルに生まれる
1895年 ル・アーヴル市立美術学校の夜間講座へ通い始める / 生涯愛したモチーフとなるル・アーヴルの港をスケッチ
右利きのデュフィは,技巧に走り過ぎることを懸念し左手で描いた
1898年 兵役 (~1899年) / 戦争から戻り,病身でヴォージュ地方のヴァル・ダジョルに滞在
1900年 奨学金を得て,パリの国立美術学校エコール・デ・ボザールへ入学
モンマルトルのコルトー街で暮らし,レオン・ボナのアトリエで学ぶ / ジョルジュ・ブラックと学友だった
印象主義の画家クロード・モネ,ゴーギャン,ゴッホ,ピサロなどに影響を受ける
1902年 ベルト・ヴェイルを紹介されて,彼女のギャラリーにパステル作品を納入
1903年 アンデパンダン展に出品
1905年 アンリ・マティス,アルベール・マルケと知り合い,アンドレ・ドラン
モーリス・ド・ヴラマンク,パブロ・ピカソなどの若いアーティストの作品を
サロン・デ・ザンデパンダンで見て,フォービズムに関心を向ける
1906年 ベルト・ヴェイル画廊で個展を開く
1907年 生活の為,木版画の制作を始める
1908年 ブラックとレスタックで制作 / セザンヌ風様式を採用しフォービズムから離れていく
1910年 ギヨーム・アポリネールと親交を結ぶ
1911年 豪華王と呼ばれたファッション・デザイナーのポール・ポワレと知り合う
ポワレとの仕事で木版刷りで布地のテキスタイルデザインを
プティット・ユジーヌ工場で創る / アポリネールの動物誌の木版挿絵を制作
1912年 フランスのシルク製造業を率いたリヨンのビアンキーニ・フェリエ商会と契約
1913年 南仏イエールに滞在
1914年 第一次世界大戦が起こり,陸軍郵便事業に従事
1917年 翌年まで,戦争博物館の図書室員となる
1918年 ジャン・コクトーの舞台デザインを手がける
1919年 ヴァンスに滞在
1920年 パリに戻りモンマルトルのジョルジュ・ブラックの近所に居を構える
1925年 「シャトー・ドゥ・フランス」 シリーズが,国際装飾美術展で金賞を受賞
1936年 ロンドンに旅行
1938年 パリ電気供給会社の社長の依頼で,パリ万国博覧会電気館の装飾に
人気の叙事詩をフレスコ画の巨大壁画「電気の精」として描く / イラストレーターと兼アーティストとしての評判を得る
多発性関節炎発症 / ポール・ヴィヤール博士は,デュフィの主治医であった
1943年 第二次世界大戦中は,スペイン国境に近い村に逃れて友人と共に暮らす (~44)
1945年 ヴァンスに滞在
1950年 リューマチのコーチゾン療法を受ける為にアメリカのボストンへ旅立つ (~52)
1952年 ヴェネツィア・ビエンナーレの,国際大賞を受賞
1953年 フランスにて逝去