創業30年 美術品販売 ギャラリー田辺|作品|山口 蓬春 「芥」 Housyun Yamaguchi

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山口 蓬春 「芥」 Housyun Yamaguchi

  • 管理No.
    ※Sold※
  • 作家名
    山口 蓬春 (Housyun Yamaguchi)
  • 作品名
  • 年 代
  • 技 法
    日本画 (紙本・彩色)
  • サイズ
    13.3cm×48.8cm
  • レゾネ
  • 体 裁
    額装
  • 備 考
    ※売約済※
  • この作品は売約済みまたは販売済みです。
    • 山口 蓬春 (やまぐち ほうしゅん) 1893~1971

      山口蓬春(本名・山口三郎)は,明治26年10月15日北海道に生まれました。父親の勤務に伴い明治36年に上京,中学校在学中には白馬会研究所で洋画を学ぶ。
      大正4年東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋学科に入学後してからは,二科会において2度の入選を果たしますが,大正7年に日本画科に転科し,大正12年には首席で卒業しました。
      8年間の学生生活を終えた蓬春は,師である松岡映丘が主宰する新興大和絵会に参加し,大正15年第7回帝展に出品した「三熊野の那智の御山」では,帝展特選・帝国美術院賞を受賞するとともに宮内庁買い上げとなり,画壇への華々しいデビューを飾ります。しかし,新しい日本画の創造を目指した蓬春は,映丘と袂を分かち,帝展とも離れる試練の時期を迎えます。
      一方で,昭和5年 福田平八郎・中村岳陵・木村荘八・中川紀元・牧野虎雄・横川毅一郎・外狩顕章らと六潮会(りくちょうかい)を結成。
      日本画家,洋画家,美術評論家からなる流派を超えた交流のなかで,独自の絵画領域を広げていきます。「市場」などの戦前の代表作をこの時期生み出しました。
      戦後は,新日本画への姿勢がより一層明確に打ち出され,ブラックやマティスなどフランス近代絵画の解釈を取り入れた知的でモダンなスタイルを確立します。
      「夏の印象」など明るく洗練された作品を発表し,日展を中心に活躍していきました。
      その後,「枇杷」などの緊張感に満ちた写実表現を経て,「紫陽花」などの清澄で格調ある表現へと画境を展開していきます。
      そして,代表作「春」「夏」「秋」「冬」を発表。
      昭和40年には文化勲章を受章。また晩年には,集大成ともいえる皇居新宮殿の杉戸絵「楓」を完成させました。
      現状に甘んじることなく,常に新しい日本画の創造を模索し続けた蓬春は,多くの業績を残し昭和46年5月31日,77歳の生涯を閉じました。

      1893年 10月15日,北海道松前郡松城町に父・慶治、母・武子の三男として生まれる

      1901年 父の転勤のため仙台を経由して上京

      1902年 京橋に住み,築地の文海小学校に編入

      1906年 文海小学校を卒業。赤坂葵町の大倉商業学校(現在の東京経済大学の前身)に入学

      1909年 大倉商業学校を中途退学。私立高輪中学校(現・高輪学園)第4学年に編入。在校中,赤坂溜池の白馬会絵画研究所に通う

      1911年 私立高輪中学校を卒業

      1912年 一年志願兵として入隊

      1913年 輜重兵第一大隊を除隊になり,美術学校へ進む準備に没頭。父が急逝

      1914年 東京美術学校西洋画科に入学。同級に中村研一や中山魏らがいた

      1915年 第9回文展出品「晩春」は二等賞首席となる

      1916年 第3回二科展に「漁村の一部」が初入選。 駐日イタリア大使が買上げる

      1917年 第4回二科展に「庭園初夏」が入選

      1918年 西洋画科を退学。東京美術学校日本画科の専科を受験し,合格。入学後,本科に転科し松岡映丘に師事

      1920年 校内の日本画全級コンクールで「クリスマスイヴ」が第一席となる

      1923年 東京美術学校日本画科を首席で卒業
      卒業制作「洛南之巻六題」のうち「晩秋(深草)」「雨霽(伏見)」が学校買い上げとなる
      高木保之助とともに,松岡映丘を指導者とする新興大和絵会の同人となる

      1924年 松岡映丘の主宰する第4回新興大和絵会展に山口三郎の名で出品
      第5回帝国美術院美術展覧会(帝展)に山口蓬春の名で出品,「秋二題」が初入選

      1925年 第6回帝展に「神苑春雨」が入選,皇后買い上げとなる

      1926年 第7回帝展に「三熊野の那智の御山」を出品,特選となり,第2回帝国美術院賞をも受賞,作品は皇室買い上げとなる
      狩野光雅の仲介により斎藤春子と結婚

      1928年 第9回帝展に「潮音」が推薦となり,以後無鑑査となる。久米正雄らと昭和天皇即位式拝観のため上洛

      1929年 第10回帝展審査員をつとめる(出品せず)。帝国美術学校が創立され,平福百穂・小茂田青樹とともに教授となる

      1930年 ローマで開かれた「日本美術展」に「那智の滝」を出品
      福田平八郎,中村岳陵,牧野虎雄,中川紀元,木村荘八,横川毅一郎,外狩顕章らとともに六潮会を結成

      1931年 第12回帝展に「波野」を出品

      1935年 帝国美術院展覧会参与のひとりに推薦される。松岡映丘を盟主とする国画院 が創立され, 同人として参加
      帝展参与を辞退し,国画院からも脱退。帝国美術学校教授の職を辞す

      1938年 松岡映丘,心臓性喘息のため死去

      1939年 第2回台湾美術展の審査のため台北に赴く。同行の松林桂月,有島生馬,大久保作治郎らと台南に旅行

      1942年 日本画家報国会が結成され,日本画製作資材統制協会常務理事となる
      陸軍省から南方に派遣され,サイゴン・香港・広東などに約3ヶ月滞在し,帰途台北に立ち寄り,6月に帰国「九龍碼頭素描」を描く

      1943年 国画院が解散する。5月,日本美術報国会が創立される
      会長・横山大観,第1部(日本画)部会長・野田九浦,同幹事長・山口蓬春
      同時に日本美術及び工芸統制協会が設立される。理事長・児玉希望,蓬春は理事
      満州国国展の審査のため,新京に赴く。満州国皇帝のために「菖蒲」を制作

      1944年 陸軍航空学校の依頼により「明治天皇御製菊の図」を献納する

      1946年 第2回日本美術展覧会(日展)の審査員となる

      1947年 疎開先から引揚げ,神奈川県葉山町の山崎種二氏の別荘に仮住まいする

      1948年 神奈川県三浦郡葉山町に転居,終の住処となる

      1954年 日展運営総会で理事に選ばれる。授賞選考委員を兼ねる

      1956年 北京で行われた雪舟等楊逝世四百五十周年記念式典に出席のため
      橋本明治,北川桃雄とともに中国に赴く。大同等各地を視察後,9月に帰国

      1958年 日展常務理事に選任される

      1961年 東京オリンピック芸術展示特別委員会の委員を委嘱される。横綱大鵬の為に化粧まわしの下絵を描く

      1965年 文化勲章を授与される。第8回新日展に審査員として「夏」を出品する
      「春」「夏」「秋」「冬」四部作は,1作ごとに東京国立近代美術館に寄贈
      これにより紺綬褒章を授与される

      1966年 明治神宮百年記念のために「菊花」を制作し,神社貴賓室に飾る

      1967年 国立劇場貴賓室のために「首夏」を制作する

      1968年 皇居新宮殿杉戸絵「楓」が完成。心筋梗塞のため入院し,文化財審議会専門委員を辞任する

      1971年 5月31日 肝臓障害のため,自宅で没。同日,従3位に叙せられる

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